淡海公(読み)たんかいこう

旺文社日本史事典 三訂版 「淡海公」の解説

淡海公
たんかいこう

藤原不比等

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「淡海公」の意味・わかりやすい解説

淡海公
たんかいこう

藤原不比等」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の淡海公の言及

【海人】より

…古文献に海人,海部,蜑,白水郎などと記す。海を主なる生業の舞台とし,河川,湖沼で素潜(すもぐ)りする漁民をはじめ,釣漁,網漁,塩焼き,水上輸送・航海にたずさわる人々を,今日いう男あま(海士),女あま(海女)の区別なく〈あま〉と総称する。
[系統と分布]
 日本民族の形成過程のなかで,かなり明瞭にあとづけられるのは南方系であり,インド・チャイニーズ系とインドネシア系に大別されよう。前者は,古典にみえる阿曇(あずみ)系およびその傍系である住吉系漁労民で,中国南部の閩越(びんえつ)地方の漂海民の系統をひき,東シナ海を北上し,山東半島から遼東半島,さらに朝鮮半島西海岸を南下し,多島海,済州島方面を経て玄界灘に達する経路をたどったと推定される。…

【藤原不比等】より

…この間,娘の宮子(みやこ)を文武夫人とし,父に賜った藤原という氏を自分の子孫に限定するために,698年(文武2),他の藤原一族はすべて元の中臣という氏に戻らせることに成功し,また文武没後の713年(和銅6)のことであるが,文武天皇の他の配偶者からは嬪(ひん∥みめ)という称号を剝奪して配偶者を宮子に限定し,その翌年には文武と宮子との間に生まれた首(おびと)皇子(後の聖武天皇)を立太子させ,さらに自分と後妻の県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)との間に生まれた光明子を716年(霊亀2)には皇太子夫人とするなど,他氏を排除しながら自分の一家と皇室との結びつきを深めていった。朝廷では先輩の左大臣正二位石上麻呂(いそのかみのまろ)が717年(養老1)に没すると右大臣正二位のまま首班となり,数人の下僚とともに養老律令の制定に着手したが,完成しないうちに720年8月に病没,10月に太政大臣正一位を贈られ,760年(天平宝字4)8月には淡海公(たんかいこう)の称号が贈られた。女子には宮子,光明子のほかに長屋王(ながやおう),橘諸兄(たちばなのもろえ),大伴古慈斐(おおとものこしび)にそれぞれ嫁した3人が知られ,男子では武智麻呂(むちまろ),房前(ふささき),宇合(うまかい),麻呂(まろ)の4人が不比等没後の政界でそろって活躍した。…

※「淡海公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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