朝日日本歴史人物事典 「清水清太郎」の解説
清水清太郎
生年:天保14.6.9(1843.7.6)
幕末の長州(萩)藩の重臣。名は親知,字は子済,号は葭堂。清水家の分家に生まれ,本家で大組の重臣であった清水美作親春(3710石余)の養子に入る。文久1(1861)年,大橋訥庵に入門。同3年学習院用掛を勤め,桂小五郎(木戸孝允)らと尊王攘夷運動に参画した。帰藩して,8月,藩制改革後の老中に特に任じられ,国元加判役になる。文久3年8月18日の政変後,山陰・山陽の諸藩の工作に当たった。翌年の禁門の変で長州藩が敗れたのちも,周布政之助と共に岩国藩などへ赴き,尊攘派勢力の挽回に努めたがならず,閉居し,俗論派のために自刃を命じられた。
(井上勝生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報