百科事典マイペディア 「球磨荘」の意味・わかりやすい解説
球磨荘【くまのしょう】
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…清業は八条院庁家司であった池大納言平頼盛の郎従であり,のち頼盛の嫡子光盛(円性)が当荘を領知していることからみて,1184年(元暦1)4月源頼朝が没官領から除き頼盛に安堵した〈球磨臼間野荘〉は当荘の前身とみられる。また人吉荘成立後も領家側は当荘を球磨荘と呼んでいること,在地荘官の顔ぶれなどからみて,当荘の成立以前に一郡的ひろがりの院領球磨荘の存在が想定される。それが鎌倉幕府成立後,関東御領(図田帳では500町)の設定に伴って再編成され,当荘が成立したと思われる。…
※「球磨荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...