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由利維平 ゆり これひら

朝日日本歴史人物事典の解説

由利維平

没年:建久1.1.6(1190.2.12)
生年:生年不詳
平安末期の武将。通称八郎または中八郎。出羽国由利郡(秋田県)の領主で秋田城在庁を兼ねたとみられる。父祖以来の平泉藤原氏郎従で,武勇は東国まで知られていた。文治5(1189)年奥州合戦のとき,出羽・越後国境の念種関(念珠関,山形県)を防御したが,敗れて捕虜となった。『吾妻鏡』文治5年9月7日条の源頼朝幕下における維平訊問のひとこまは,鎌倉と平泉の関係や当時の武将像を活写した記事として有名。厚免により本宅を安堵されたが,大河兼任の乱に直面し,鎌倉幕府方として交戦,秋田城で戦死した。しかし,戦後に子息維久に由利郡地頭職が与えられるなど,鎌倉御家人由利氏の基盤を築いた人物である。

(遠藤巖)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

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