朝日日本歴史人物事典 「矢野倫長」の解説
矢野倫長
生年:承元4(1210)
鎌倉中期の幕府の奉行人。幕府奉行人の矢野倫重の子。外記を経て寛元2(1244)年に父の死の跡を受けて幕府の評定衆になり,建長3(1251)年に対馬守となる。その活動は評定衆と共に,北条時頼に仕えたことで得宗邸での寄合のメンバーとして大きなものがあった。時頼死後は北条時宗に仕え,文永3(1266)年に引付が廃止されると,幕府の評定の結果を得宗の時宗に取り次ぐ役に任じられており,幕府の公式会議である評定と得宗邸での私的な会議である寄合を結ぶ役割を果たして,そののちの得宗専制政治の道を奉行人の側から後押した。<参考文献>『関東評定衆伝』,五味文彦『吾妻鏡の方法』
(五味文彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報