ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「磨延啜」の意味・わかりやすい解説
磨延啜
まえんてつ
「葛勒可汗」のページをご覧ください。
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…これらの背景には当時の国際的商人ソグド人の文化が色濃く影を落としており,彼らの信ずるマニ教が体系的宗教としてはじめてウイグルに導入されたこと(763ころ)や新ソグド文字と称されるウイグル文字が考案されたこともそれを裏づける。唐との関係ではその冊封体制内にあったが,2代可汗,磨延啜(葛勒可汗,在位747‐759)のときに安史の乱の鎮圧に派兵した事実を含め,唐より優位に立った時期もある。 840年,内乱とキルギス族の攻撃によって遊牧ウイグル国家は崩壊し,多くのウイグル人がモンゴル高原を後にした。…
※「磨延啜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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