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出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…京都市東山区内の地名で,八坂神社(通称,祇園)と祇園町,祇園新地や周辺の祇園廻りなど一帯の総称。〈祇園〉の語は仏教でいう〈祇樹給孤独園(ぎじゆぎつこどくおん)〉〈祇園精舎(ぎおんしようじや)〉に発するが,当該の地名としては,いわゆる御霊(ごりよう)信仰の弘通と,八坂郷の鎮守であった祇園社(八坂神社の旧称)の発展に応じて,平安時代の半ばころから用いられるようになり,人々に近しくなった。このあたりの地は祇園社領として,平安時代末期より門前町化の萌芽を示していたが,鎌倉時代に入ると祇園社の南(正面に当たる下河原,八坂の方面)と西(西大門に面する四条通の方面)とを中心にしだいに市街地化しはじめ,ことに西方での人家の増加がいちじるしかったようである。…
…速風武雄神,並びに従五位下を授く〉とあるのが,広峰社の史料上の初見とされる。平安時代に御霊信仰と疫神祭が盛んになる中で,スサノオと習合した牛頭天王が広峰山にまつられたが,これが京都の八坂に移されて祇園社(八坂神社)となったといわれる。《二十二社註式》によると,祇園社の牛頭天王は初め播磨国明石浦に跡を垂れて広峰に移り,その後北白川東光寺に移り,元慶年中(877‐885)に祇園感神院に移ったという。…
…旧官幣大社。現社名は1868年(明治1),神仏分離にさいして付されたもので,それ以前は祇園社,祇園感神院(かんしんいん)(感神院は別当寺)と称していた。こんにちでも市民のあいだでは〈祇園さん〉の呼称で親しまれている。…
…綿を販売する座。南北朝期の1343年(興国4∥康永2),京都では祇園社に属する綿本座が三条町と七条町にあり,四府駕輿丁座付属の錦小路町の綿商人を吸収し,本座に加えている。したがってこのころまでに祇園社の綿本座の販売独占権が確立していたと考えられる。…
…久留米藩の町政担当者は町奉行である。9世紀に勧請されたといわれる篠山町の祇園社は久留米町人の氏神で,毎年6月の祇園会には各掛から1台ずつ出された山車が妍(けん)を競った。また筑後川の水神を祭る水天宮の川祭も瀬下町の氏子によって毎年11月15日に盛大に行われた。…
※「祇園社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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