竹中重義(読み)たけなか・しげよし

朝日日本歴史人物事典 「竹中重義」の解説

竹中重義

没年:寛永11.2.22(1634.3.21)
生年:生年不詳
江戸前期の長崎奉行。豊後国府内藩(大分市)藩主。采女正。父重利の領地2万石を相続。寛永6(1629)年長崎奉行となり,対外貿易の管理とキリシタン禁制に辣腕をふるった。しかし,長崎代官末次平蔵らに,唐船に対する私的課税,海外渡航証の独断での発給,私貿易船の派遣,収賄などの不正を訴えられ,同10年2月11日,罷免。新奉行による1年間にわたる調査のあと,翌年2月22日,所領没収のうえ,切腹を命じられた。外様大名でありながら,その才覚徳川秀忠年寄信任を受け業務に当たっていたが,秀忠の死が転機となった。

(山本博文)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹中重義」の解説

竹中重義 たけなか-しげよし

竹中重次(たけなか-しげつぐ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の竹中重義の言及

【長崎奉行】より

…江戸幕府の遠国奉行の一つで老中に属した。初代は1592年(文禄1)秀吉が任じた肥前唐津城主寺沢広高で,江戸開幕から鎖国までは,徳川家康の侍妾お夏の兄である長谷川藤広,甥の権六,豊後府内藩主竹中重義に代表される側近的奉行で,幕府による貿易の掌握,キリシタン禁制にらつ腕をふるい,御用物調達や外国関係事件の処理をめぐって職権を関係諸藩に行使し,またみずから貿易経営者でもあった。鎖国とともに1633年(寛永10)より定数2名(在府1,在勤1)となり,キリシタン・異国船警備,やがて抜荷取締りを中心に西国大名への指揮監察権が強化された。…

※「竹中重義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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