朝日日本歴史人物事典 「竹中重義」の解説
竹中重義
生年:生年不詳
江戸前期の長崎奉行。豊後国府内藩(大分市)藩主。采女正。父重利の領地2万石を相続。寛永6(1629)年長崎奉行となり,対外貿易の管理とキリシタン禁制に辣腕をふるった。しかし,長崎代官末次平蔵らに,唐船に対する私的課税,海外渡航証の独断での発給,私貿易船の派遣,収賄などの不正を訴えられ,同10年2月11日,罷免。新奉行による1年間にわたる調査のあと,翌年2月22日,所領没収のうえ,切腹を命じられた。外様大名でありながら,その才覚で徳川秀忠や年寄の信任を受け業務に当たっていたが,秀忠の死が転機となった。
(山本博文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報