日本大百科全書(ニッポニカ) 「菅ノ沢遺跡」の意味・わかりやすい解説
菅ノ沢遺跡
すげのさわいせき
群馬県太田市今泉口にある生産遺跡。太田市の中央部、東西1キロメートル、南北5キロメートルにわたる独立丘金山(かなやま)の北東端の南向き斜面にあたる。6世紀末の須恵器窯(すえきがま)7基、7世紀後半の古墳2基、10世紀代と考えられる鉄精錬炉3基が検出されている。金山の北、東、南斜面全域の各沢で6~7世紀の間、須恵器生産が盛んに行われていたと考えてよく、窯址(ようし)群が多く存在する。そのなかで一窯址群が全掘された唯一の例が本遺跡である。太田市内には7世紀代の小円墳群が多く、金山産須恵器のおもな供給先であったと考えられる。精錬炉は、操業方法が想定できるほどに遺存状態が良好で、実大模型が群馬県立歴史博物館に保管、展示してある。1968~1977年(昭和43~52)駒沢(こまざわ)大学が調査した。
[倉田芳郎]