朝日日本歴史人物事典 「蒲庵宗陳」の解説
蒲庵宗陳
生年:天文1(1532)
室町末・安土桃山時代の臨済宗の僧。古渓宗陳ともいう。諡号は大慈広照禅師。越前(福井県)朝倉氏の出身。出家して下野(栃木県)足利学校に学んだのち,大徳寺の江隠宗顕の法を嗣いだ。天正1(1573)年大徳寺の第117世となる。豊臣秀吉の帰依を受け,その開基にかかる総見院,海会寺の開山となったが,のち流罪に処せられた。同16年,筑紫への配流に当たり千利休が送別の茶会を行っているが,これが利休切腹の一因とされている。晩年に帰京し,洛北(京都府)の常楽庵に居した。<著作>『蒲庵稿』<参考文献>桑田忠親『千利休』,大桑斉「天正寺の創建・中絶から大仏造営へ」(『大谷学報』63巻2号)
(石井清純)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報