改訂新版 世界大百科事典 「古渓宗陳」の意味・わかりやすい解説
古渓宗陳 (こけいそうちん)
生没年:1532-97(天文1-慶長2)
安土桃山時代の禅僧。越前朝倉氏の出身。号は蒲庵(ほあん)。大徳寺の江隠宗顕,笑嶺宗訢のもとで修行し,のち大徳寺の住持となった。高徳と豪毅な禅は世に聞こえ,豊臣秀吉は宗陳を織田信長の菩提のために創建した総見院の開山に迎え,信長の葬儀に導師を命じた。権勢を恐れず,石田三成と衝突し,しばらく博多に流されたこともある。茶の湯をよくたしなみ,千利休の参禅の師であり,〈利休〉の居士号はもともと宗陳が選んだものという。利休切腹に際し,秀吉は利休の木像を山門に置いた大徳寺をとがめ,伽藍の破却を企てたが,そのとき宗陳は使者らの前で短刀を抜いて命を賭してこれをはばみ,大徳寺の危機を救ったという。かれの豪邁な禅風を物語る挿話である。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報