藤原宗行(読み)ふじわらのむねゆき

朝日日本歴史人物事典 「藤原宗行」の解説

藤原宗行

没年承久3.7.14(1221.8.3)
生年:承安4(1174)
鎌倉前期の公卿。権中納言正三位。左大弁行隆の5男で,母は典薬助藤原行兼の娘(美福門院女房,のち八条院女房越前)。初名は行光。一門の権大納言藤原宗頼の子となり,宗行と改名。中御門中納言と号す。宗頼が後鳥羽上皇腹心の女房卿二位と結婚して上皇側近となったことから,宗行も上皇の近臣となった。有能な実務官僚で,院中の雑務を奉行し,伝奏を務めた。また上皇に『貞観政要』を進講した。土御門上皇の近臣ともなり,その年預別当を務めた。承久の乱(1221)に深くかかわり,乱後首謀者のひとりとして関東に送られ,駿河(静岡県)の藍沢で小山朝長により処刑された。

(秋山喜代子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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