朝日日本歴史人物事典 「藤原行秀」の解説
藤原行秀
室町前期の土佐派の絵師。土佐家系図には土佐行広の兄弟ともされるが未詳。京洛丸太町通り春日に居住したため春日行秀とも称した。修理亮に任官,宮廷絵所預 を務めた。記録では後崇光院の命による「牛板絵」(1424)があり,現存作には醍醐寺蔵の称光帝御世始三壇法の本尊普賢延命像(1413頃?),清凉寺「融通念仏縁起絵巻」(1417頃)の一部がある。鎌倉期の謹直なやまと絵手法の上に,南北朝期の奇矯な形態表現などを加え,室町やまと絵通有の明度の高い色調の穏雅な作風を持っている。事績,作品とも少ないが,土佐行広と並び,室町期やまと絵様式の確立,土佐派の画壇における覇権確立に重要な役割を担ったと推定される。<参考文献>吉田友之「土佐光信」(集英社『日本美術絵画全集』5巻)
(相澤正彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報