朝日日本歴史人物事典 「藤四郎景正」の解説
藤四郎景正
瀬戸焼の祖とされる伝説的人物。正しくは,加藤四郎左衛門景正とされる。貞応2(1223)年道元禅師に従って宋に渡り,茶入の製法を学んで帰国したという。その存在を正確に確かめる術はないが,現在までの発掘調査による報告では,13世紀前半に瀬戸焼が中国陶磁の倣製を基本方針にして,日本で唯一の施釉陶を焼製しはじめたことは確かであり,藤四郎伝説とおおむね一致する。したがって,そのような先進性を持った人物が瀬戸にいたことは事実と思われる。一方,窯や成形,釉の技術は日本在来の技であり,13世紀の中国製陶技術の導入が認められないのも事実である。藤四郎伝説を今日に伝える最古の資料は,土佐(高知県)の尾戸焼の陶工森田久右衛門の日記(1678)である。それによると,久右衛門が瀬戸を訪れ山口小左衛門から直接聞いたこととして,450年ほど前,鎌倉幕府2・3代将軍のころ,瀬戸焼の陶祖藤四郎が12年間中国に陶法の修業に行った,と記している。伝承によると,仁治3(1242)年山田郡(瀬戸市)に窯を定め,晩年になって出家し,春慶と号して禅長庵に住したともいう。<参考文献>『日本陶窯史』
(矢部良明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報