瀬戸焼の開祖と言い伝えられてきた伝説的陶工。正式名を加藤四郎左衛門景正といい,略して藤四郎とも称される。生没年不詳。伝承によれば,彼は道元禅師に従って中国に渡り,1227年(安貞1)に帰国して瀬戸に中国の製陶法を伝え,自らも窯をきずいたという。瀬戸には景正をまつる陶彦(すえひこ)神社があり,近くの庚申山頂には1867年(慶応3)に建立の彼の顕彰碑があり,後世の陶工たちの崇敬ぶりをよく示している。しかし,彼が実在したことを証明する資料はなく,その実績を明らかにすることは至難である。現在のところ1675年(延宝3)に土佐高知の陶工森田久右衛門が日記に詳しく彼の事績をしるすのが史料としての初見である。ただし,瀬戸窯が中国陶磁にならって施釉陶を焼く唯一の窯として発足するのは13世紀前半であることが,考古学的研究から確かめられており,当時まさに景正に象徴されるような進取の気風に富む陶工がいたことは推察できよう。
執筆者:矢部 良明
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生没年など不詳。愛知県の瀬戸焼の陶祖。正しくは加藤四郎左衛門景正といい、藤四郎と称する。加藤景正が実在したという確かな証拠はない。文献では江戸前期1678年(延宝6)の『森田久右衛門日記』に、瀬戸焼は藤四郎が根元であり、鎌倉将軍2、3代目(源頼家(よりいえ)・実朝(さねとも))の事とし、450年ほど前の人物と記しているのが最初例である。これは、藤四郎が1223年(貞応2)に入宋(にっそう)した道元禅師に従って渡航し、陶技を学んで帰国したとする伝承と、ほぼ時期は一致する。確かに鎌倉時代の瀬戸焼は中国陶磁を写して開窯するが、専門的技術では中国陶磁と異なる。しかし考古学調査では、景正の入宋時期と開窯時期がおおむね一致している。
[矢部良明]
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生没年不詳。鎌倉時代に瀬戸焼を開いた陶祖とされる伝説的人物。加藤四郎左衛門景正といわれ,略称藤四郎。1223年(貞応2)に道元に従って中国に渡り,陶磁の技法を伝えたという。「森田久右衛門日記」延宝6年(1678)条には「瀬戸焼物と申者(もうすは),藤四郎根元。但四百五拾年余ほど,鎌倉二三代め事」と記す。瀬戸焼の開窯は13世紀前半であり伝承と一致するが,瀬戸焼に中国陶磁技術が反映されていないことも確かである。
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