加藤景正(読み)かとうかげまさ

  • 加藤景正 かとう-かげまさ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]?
[没]建長1(1249).3.19.
鎌倉時代前期の陶工加藤四郎左衛門景正といい,通称藤四郎代々継承された。号は春慶。貞応2 (1223) 年僧道元とともに入宋,製陶法を修め,帰国後尾張の瀬戸を開いたという。遺作を「古瀬戸」「春慶焼」と称する。

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百科事典マイペディアの解説

瀬戸焼の陶祖と称される伝説的人物加藤四郎左衛門景正,略して藤四郎(とうしろう)という。1223年道元に従って中国に渡り,陶法を習得し,帰国後瀬戸に良土を発見して製陶したといわれる。
→関連項目古瀬戸

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

?-? 鎌倉時代の陶工。
瀬戸焼の陶祖とつたえられるが,実在の人物かどうかたしかでない。伝承によれば,道元にしたがって宋(そう)(中国)にわたり,帰国してその製陶法を瀬戸につたえ,みずからも窯をひらいたという。通称は藤四郎,四郎左衛門。号は春慶,俊慶。

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世界大百科事典 第2版の解説

瀬戸焼の開祖と言い伝えられてきた伝説的陶工。正式名を加藤四郎左衛門景正といい,略して藤四郎とも称される。生年不詳。伝承によれば,彼は道元禅師に従って中国に渡り,1227年(安貞1)に帰国して瀬戸に中国の製陶法を伝え,自らも窯をきずいたという。瀬戸には景正をまつる陶彦(すえひこ)神社があり,近くの庚申山頂には1867年(慶応3)に建立の彼の顕彰碑があり,後世の陶工たちの崇敬ぶりをよく示している。しかし,彼が実在したことを証明する資料はなく,その実績を明らかにすることは至難である。

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大辞林 第三版の解説

鎌倉時代の陶工。本名、四郎左衛門。通称、藤四郎。晩年入道して春慶。1223年道元に従って入宋。陶法を学び帰国して尾張国瀬戸に開窯したといわれる。陶工の祖と呼ばれ、代々藤四郎の名が継承される。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

生没年など不詳。愛知県の瀬戸焼の陶祖。正しくは加藤四郎左衛門景正といい、藤四郎と称する。加藤景正が実在したという確かな証拠はない。文献では江戸前期1678年(延宝6)の『森田久右衛門日記』に、瀬戸焼は藤四郎が根元であり、鎌倉将軍2、3代目(源頼家(よりいえ)・実朝(さねとも))の事とし、450年ほど前の人物と記しているのが最初例である。これは、藤四郎が1223年(貞応2)に入宋(にっそう)した道元禅師に従って渡航し、陶技を学んで帰国したとする伝承と、ほぼ時期は一致する。確かに鎌倉時代の瀬戸焼は中国陶磁を写して開窯するが、専門的技術では中国陶磁と異なる。しかし考古学調査では、景正の入宋時期と開窯時期がおおむね一致している。[矢部良明]

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精選版 日本国語大辞典の解説

鎌倉前期の伝説的な陶工。長尾瀬戸焼(陶器)の中興の祖。正式名は加藤四郎左衛門景正。号は春慶。通称、藤四郎。名は景政とも書く。貞応二年(一二二三)僧道元に従って宋に渡り製陶法を修得。帰国後、瀬戸に窯(かま)を開いたといわれる。その遺作を「古瀬戸」「春慶焼」と称する。以後、藤四郎の名は代々継承された。生没年未詳。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

生没年不詳
鎌倉時代の陶工
通称藤四郎。伝記不詳。一説に1223年道元に従って入宋。陶法を学んで帰国後,尾張国瀬戸に良土を発見し開窯したと伝える。陶工の祖と呼ばれ,子孫も代々藤四郎を称す。

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