裏松家(読み)うらまつけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「裏松家」の意味・わかりやすい解説

裏松家
うらまつけ

藤原北家日野家流。室町時代前期,日野資康の子重光より裏松を称した。重光の女重子が,6代将軍足利義教の室となり,義勝,義政を産み,嘉吉1 (1441) 年義教が赤松氏に殺されてからは,幼い将軍の生母として権勢をふるうなど,裏松家は幕府重きをなした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の裏松家の言及

【足利義教】より

…廷臣に対しても意に反する者には処罰をもって臨み,1434年までに処罰された廷臣は60名に及んでいる。ことに宮廷内に勢力を強めた裏松家への弾圧は厳しく,室裏松重光女宗子を廃して,正親町(おおぎまち)三条公雅女尹子に代え,宗子の兄義資も処罰された。また寺社統制にも力を入れ,33年,幕府の意に従わなかった延暦寺衆徒を叡山に攻め殺した。…

※「裏松家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む