赤橋登子(読み)あかはし・とうし

朝日日本歴史人物事典 「赤橋登子」の解説

赤橋登子

没年:貞治4/正平20(1365)
生年:徳治1(1306)
室町幕府初代将軍足利尊氏の妻。「なりこ」とも。2代将軍義詮,鎌倉公方基氏の母。六波羅探題北条久時と北条宗頼の娘の子。鎌倉幕府最後の執権赤橋守時の妹。『太平記』によれば,正慶2/元弘3(1333)年,伯耆船上山の後醍醐軍討伐の命を帯びて尊氏が鎌倉を出発する際,4歳の千寿王(義詮)と共に人質として鎌倉に残った。尊氏の離反が鎌倉幕府に知られる直前に逃れ,千寿王を擁した足利軍は合流した新田義貞軍をしのぐ軍勢となり,足利方に大きな勝利をもたらした。没後,仁和寺等持院に葬られた。法号は等真院定海。贈従一位。

(西尾和美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤橋登子」の解説

赤橋登子 あかはし-とうし

北条登子(ほうじょう-とうし)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android