朝日日本歴史人物事典 「那波祐生」の解説
那波祐生
生年:安永1.6.3(1772.7.3)
江戸時代の秋田の豪商那波家の9代目当主。三郎右衛門は通称で,代々襲名した。那波家は,早くから秋田藩主佐竹氏とつながりがあり,享保5(1720)年に京都から出羽国久保田(秋田市)に移住。その後,藩の御用聞町人としてその財政運営にかかわっていた。祐生は,京都から絹織物や酒造などの新技術を導入し,国産物の開発,振興に尽くした。文政11(1828)年,窮民救済機関の基金として多額の私財を提供,翌年これが「感恩講」として発足した。以後,久保田の有力町人からの献金を資金として運営され,窮民救済,育児機関としての役割を果たした。祐生は近世都市の矛盾にいちはやく対策を講じた民間人といえる。<参考文献>秋田県社会福祉協議会編『秋田県社会福祉史』
(金森正也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報