朝日日本歴史人物事典 「都千中」の解説
都千中(初代)
生年:生年不詳
江戸中期の一中節の太夫。都秀太夫千中とも。都三中の弟子か。享保(1716~36)末ごろから宝暦7(1757)年ごろまで活躍。享保19年春,江戸中村座で語った「夕霞浅間岳」が大当たりし,当時江戸の市中で「鼠の糞と夕霞の歌本のない家はない」とまでいわれた。このほか元文1(1736)年に「家桜」,宝暦1年に「賤機」など多くの曲を語った。7年ごろから舞台出演をやめ男芸者になった。江戸において一中節は,千中没後ほとんど劇場出演はなく,座敷浄瑠璃として吉原に残るのみとなった。
(吉野雪子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報