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金地院崇伝 こんちいん すうでん

美術人名辞典の解説

金地院崇伝

安土桃山・江戸前期の臨済宗の僧。京都生。一色秀勝の子。南禅寺の玄圃霊山に師事して出家する。徳川家康に仕えて寺社を管理、外交文書を掌り、その間の記録『異国日記』を残した。またキリスト教禁制国書禁中並公家諸法度武家諸法度寺院法度起草大坂の陣では方広寺の鐘銘問題で家康のために画策するなど、徳川幕府権力の確立に尽くした。寛永10年(1857)寂、65才。

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百科事典マイペディアの解説

金地院崇伝【こんちいんすうでん】

以心崇伝

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金地院崇伝
こんちいんすうでん

崇伝」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金地院崇伝
こんちいんすうでん

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世界大百科事典内の金地院崇伝の言及

【以心崇伝】より

…円照本光国師。金地院崇伝,伝長老ともいわれる。足利義輝の近臣一色藤長の孫。…

【寺院法度】より

…江戸幕府が仏教寺院,僧侶を統制するために発布した一連の法令。1601年(慶長6)の〈高野山法度〉に始まり16年(元和2)まで46通が下されている。このうち,1614年(慶長19)までのものは個別寺院あてのものが多かったが,15‐16年に各宗派本山に下されたことによって,従来あいまいであった宗派,本山を確定することになった。家康の政治顧問であった以心(金地院)崇伝がこれらの制定に関与している。その内容は宗学奨励,本寺末寺関係の確定,僧侶階位や寺格の厳正,私寺建立禁止などが主要なものである。…

※「金地院崇伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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