百科事典マイペディア 「鎌倉権五郎」の意味・わかりやすい解説
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…相模国鎌倉郷を本拠とした平安末期の武士。生没年不詳。権五郎と称し,景正とも書く。平良文の子孫とも良正の子孫とも伝え,後三年の役で源義家に従って活躍。大庭御厨の開発領主となり,その子孫は,大庭氏,梶原氏,長尾氏等に分かれて相模国内に発展した。【細川 涼一】 鎌倉景政は鎌倉権守景成の子と伝えられ,後三年の役に,八幡太郎義家の家人として弱冠16歳で従軍,出羽国金沢の柵の攻略に活躍し,大いに武名をあげた。《奥州後三年記》によると,このとき景政は,鳥海弥三郎のために左目を射抜かれたが,ひるむことなく即座に答えの矢を射返してこれを倒したといい,また同僚の三浦為次がささった矢を抜くために景政の顔を足で踏もうとしたところ,武士の顔を土足にかける無礼をとがめ,これを謝らせたともいう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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