飯室楽圃(読み)いいむろ・らくほ

朝日日本歴史人物事典 「飯室楽圃」の解説

飯室楽圃

没年:安政6(1859)
生年:寛政1(1789)
江戸後期の博物学者。名は昌栩,幼名を安太郎といい,220俵を受ける大番組の旗本飯室富之助昌親の長男として江戸市谷柳町に生まれた。通称は庄左衛門,楽圃または千草堂と号した。設楽甚左衛門貞丈に師事し,博物学を修める。天保7(1836)年,前田利保の主唱した赭鞭会(動植物鉱物の検討会)の同人に加わり,研究討議を重ねた。主著『虫類図説』(1856年序,12巻)は昆虫のみならず爬虫類,両生類,蜘蛛類などを含む約600種を『本草綱目』に従って分類記述しており,わが国最初の体系的な図鑑である。他に『草花写生図』などの著がある。

(石山洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

関連語 飯室昌栩

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む