…江戸後期の文人画家。下野の人。名は徴,字は子遠,通称秋輔。靄厓のほか石窠,如樵,疎林外史と号す。初め絵を郷里の画家と思われる雪耕に学んだといわれるが,その後,池大雅や清の来舶画人伊孚九(いふきゆう)に私淑し,文人画を自ら学んだ。江戸へ出て谷文晁に師事したようであるが,京都へ遊学したり,江戸では渡辺崋山や立原杏所ら関東文人画家との交友の中で,日本における文人画の伝統を守った。靄厓没後は白河藩主阿部侯の家老であった川勝隆任の三男隆古(りゆうこ)(1810‐58)が一時その家を継いで高久氏を名乗ったが,のちに復古大和絵派に転じた。…
※「高久隆古」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...