黎聖宗(読み)れいせいそう

改訂新版 世界大百科事典 「黎聖宗」の意味・わかりやすい解説

黎聖宗 (れいせいそう)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の黎聖宗の言及

【ベトナム】より

… ベトナムの再独立は1428年にハノイの明軍を破ったレ・ロイ(黎利)によって達成された。レ(黎)朝第4代レ・タイントン(黎聖宗。在位1460‐97)の下に,ベトナムは律令的集権国家の体制を整備した。…

【レ・タイントン】より

…ベトナムのレ(黎)朝第4代皇帝,在位1460‐97。年号をとってホンドゥックHong Duc(洪徳帝)ともいう。中国的集権体制を完成させた。1459年宮廷内部に紛争が起こり,ランソン王のギザンNghi Dan(誼民)が3代ニャントン(仁宗)を殺して帝位を奪ったが,60年諸大臣のクーデタによりギザンは廃され,皇弟のタイントンが即位した。66年タイントンは明の制度を積極的に導入し,中央には六部六寺制,地方には承宣・府・州・県・社制を設けて皇帝の支配を強化した。…

【レ朝】より

…在位1434‐42),3代レ・ニャントン(黎仁宗。在位1443‐59)の間に宮廷内紛がみられたが,4代レ・タイントン(黎聖宗)にいたり,明の六部制を導入して中央集権を確立し,地方には承宣・府・州・県・社制を敷いた。この地方行政制度の根幹はグエン(阮)朝を経由して,フランス領時代を通じて踏襲される。…

※「黎聖宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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