レタイントン(英語表記)Le Thanh Tong

改訂新版 世界大百科事典 「レタイントン」の意味・わかりやすい解説

レ・タイントン (黎聖宗
)
Le Thanh Tong
生没年:1442-97

ベトナムのレ(黎)朝第4代皇帝,在位1460-97。年号をとってホンドゥックHong Duc(洪徳帝)ともいう。中国的集権体制を完成させた。1459年宮廷内部に紛争が起こり,ランソン王のギザンNghi Dan(誼民)が3代ニャントン(仁宗)を殺して帝位を奪ったが,60年諸大臣のクーデタによりギザンは廃され,皇弟タイントンが即位した。66年タイントンは明の制度を積極的に導入し,中央には六部六寺制,地方には承宣・府・州・県・社制を設けて皇帝の支配を強化した。これは19世紀に清の制度による改変を受けつつも,フランス領期を通じてベトナム行政制度の骨格となった。また均田例を公布して田土の多くを公田とし,6年ごとに1回,全丁民にひとしく分給した。

 これはのちにベトナム村落固有の村落共有田(コンディエン(公田))制に発展する。また洪徳条律刑律)は根幹を唐律によりながら,ベトナム固有の法体系を多く成文化したもので,18世紀末まで利用された。また1471年にはチャンパに遠征してこれを滅ぼし,79年にはラオスのルアンプラバンを落とし,さらにメコン川上流でビルマ(現ミャンマー)領にまで達した。これら皇帝権力の強化は儒教朱子学)の振興に支えられ,このためタイントン期にはベトナム漢文学が盛行して,ゴ・シ・リエン(呉士連)の《大越史記全書》,制度や詩文を集めた《天南余暇集》,伝説を集成した《嶺南摭怪》などが編まれた。タイントン期はグエン(阮)朝のミンマン明命)期と並んで,ベトナム王朝時代の極盛期とみなされる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のレタイントンの言及

【ベトナム】より

… ベトナムの再独立は1428年にハノイの明軍を破ったレ・ロイ(黎利)によって達成された。レ(黎)朝第4代レ・タイントン(黎聖宗。在位1460‐97)の下に,ベトナムは律令的集権国家の体制を整備した。…

【レ朝】より

…在位1434‐42),3代レ・ニャントン(黎仁宗。在位1443‐59)の間に宮廷内紛がみられたが,4代レ・タイントン(黎聖宗)にいたり,明の六部制を導入して中央集権を確立し,地方には承宣・府・州・県・社制を敷いた。この地方行政制度の根幹はグエン(阮)朝を経由して,フランス領時代を通じて踏襲される。…

※「レタイントン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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