世界大百科事典(旧版)内のACTUの言及
【オーストラリア】より
…しかし〈1975年の憲法危機〉を経ての政権成立という,後ろ暗い事情,さらにフレーザーの傲岸さなどが新聞関係者の不評を買い続けた上に,79年の石油値上げ以降の国際経済不況に対処するため,81年ころから従来の引締策を棄て国内経済刺激政策に転じた結果,再び年間インフレ率,次いで失業率ともに10%を超えるという最悪の事態に逆戻りし,83年3月,4度目の総選挙に敗れ,メンジーズ政権に次いで2番目に長い政権の幕を閉じた。
[労働党の長期政権から保守政権へ]
代わって登場した労働党政権のホークRobert Hawke首相は,長く日本の総評にあたるオーストラリア労働組合評議会(ACTU)の議長を務めてきた大衆的カリスマ性の強いユダヤ系の政治家で,党議員団リーダーになってわずか1ヵ月余りで首相の座に就いた。しかし前政権が残した10億オーストラリア・ドルの財政赤字を抱え,オーストラリア・ドルの10%切下げ,政・労・資そして消費者各代表による〈経済サミット〉開催など,経済立直しに追われ,理想主義的だったホイットラム政権の轍を踏まないためにも,むしろ前保守政権より保守的な側面すら打ち出した。…
※「ACTU」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」