世界大百科事典(旧版)内のAntepの言及
【ガジアンテプ】より
…トルコ南東部にあり,同名県の県都。人口71万6000(1994)。かつてはアインターブ‘Aynṭāb,あるいはアンテプAntepと呼ばれた。アナトリアとシリア,メソポタミア地方とを結ぶ交通・戦略上の要地で,16世紀にオスマン帝国の領域に入るまで,ビザンティン,アルメニア,十字軍,トルコ系,アラブ系など,その支配勢力の変遷は著しかった。第1次世界大戦後の祖国解放運動の際,市民軍はフランス侵入軍を相手に長期にわたる抵抗戦を戦い抜き,この功績によってアンテプ市は1921年2月6日トルコ大国民議会から〈ガージー(聖戦士)〉の称号を贈られた。…
※「Antep」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」