世界大百科事典(旧版)内のArtatamaの言及
【ミタンニ王国】より
…その勢力の伸長の背景には,ヒッタイトがミタンニの調教師キックリKikkuliを招聘していることなどから推測して,ミタンニの馬術がオリエント世界の他地域に比較して優れていたことがあげられる。エジプトのトトメス3世のシリア遠征,ヒッタイト王のアレッポ侵攻などにより,北シリアは一時混乱期を迎えるが,アルタタマArtatama,シュッタルナShuttarna,トゥシュラッタTushrattaの3代にわたって,トトメス4世,アメンヘテプ3世に入嫁させるなど,エジプトと密接な関係を維持,前15世紀後半から前14世紀初頭にかけて,比較的安定した時期が続いた。しかし,前1385年ころ,トゥシュラッタがミタンニ王に即位すると,〈フルリ国の王〉と称するアルタタマとの内紛が表面化,アルタタマは,ヒッタイト王スッピルリウマ世と協約を結んで,トゥシュラッタ側を攻撃した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」