世界大百科事典(旧版)内のBeatusの言及
【サンチアゴ・デ・コンポステラ】より
…確かにこの時代,弱小で不安定なアストゥリアスは独自の教会組織をもってその王権を補強する必要に迫られていた。この意味で前述エリパンドゥスの異端説を論駁したリエバナのベアトゥスBeatus(ベアトBeato)(?‐798)の文筆活動が墓の発見とほぼ時を同じくしたのは興味深く,あえて言うならヤコブ信仰は,新興アストゥリアス王国が必要としていた新しい教会の礎となるものだった。 10世紀までにこの新しい信仰はイベリア半島北部一帯に広まり,11世紀にはピレネー山脈を越えた。…
【ベアトゥス本】より
…スペイン北部,アストゥリアス地方リエバナLiébanaの修道院長ベアトゥスBeatus(ベアトBeato。?‐798)が,786年ころに著した《黙示録注釈書》およびその転写本の通称。…
【聖人】より
…もと自然に発生した習慣だっただけに聖人認定の手続も定かでなく,死体が腐朽しないことだけでも聖性を証すると考えられ,せいぜい司教が認定するのみであったが,12世紀から新聖人認定権は教皇庁の独占するところとなり,列聖の手続や儀式も整った。17世紀には一段下の聖性をもつ福者beatus,beataの位階も設けられた。ルター以下,宗教改革者たちは一様に聖人崇拝に反対した。…
※「Beatus」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」