世界大百科事典(旧版)内のbushrangerの言及
【オーストラリア】より
…すべての土地が台帳に登録された結果,対立も終息に向かったのである。しかしそれまでは,開拓初期から官憲に抵抗してきた伝統的な無法者ブッシュレンジャーbushrangerが後者のグループから輩出し,ネッド・ケリーの逮捕・処刑(1880)によって対立はクライマックスを迎えた。1891,94年の毛刈職人組合の大争議もスクオッターへの抵抗であり(以後スクオッターの斜陽化が始まる),争議の場にはユリーカ砦の反乱の南十字星旗がひるがえった。…
【スクオッター】より
…しかしスクオッターはダミーを使って水源のあるセレクションを押さえるなどして対抗し,セレクターselectorと呼ばれた小農層と激しく対立した。困窮したセレクター層からのブッシュレンジャーbushranger(追いはぎ)の大量発生は,この対立の副産物である。 20世紀前半になると,農産物の国際市場を牛耳るベスティ社などの国際食肉資本がスクオッターにとって代わり,大きく彼らの力をそいだ。…
※「bushranger」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」