世界大百科事典(旧版)内のCumanの言及
【モルドバ】より
…271年ローマは撤退しいわゆる民族移動期に入るが,とくに6世紀にはスラブ人がこの地に移住した。キエフ・ロシア国家の最盛期にはその支配はモルドバ北部にまで及んだが,他方10世紀以降ペチェネグやクマンCuman(ロシア語ではポロベツ人)の侵入もしだいに強まり,12~13世紀初めにはこの地に白クマン国が成立し,原住民は貢納を義務づけられた。1241年モンゴルの侵入によってクマンの国家は崩壊し,やがてキプチャク・ハーン国の支配下に置かれたが,その後もモンゴル人はしばしば東カルパチ山脈を越えて略奪を行ったため,ハンガリー王はトランシルバニアの保全のためにもモルドバの確保を必要とした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」