世界大百科事典(旧版)内のghaybaの言及
【イスラム】より
…このような主張は,イスラムと無縁な個人崇拝を容認するものとして,スンナ派から厳しく非難されたが,シーア派の一派にはイマームに超人間的な性格を付与し,最も極端な論をなすものは,アリーおよびその子孫のイマームを神の化身とみなすにいたった。 十二イマーム派は第12代イマーム,ムハンマド・アルムンタザルのガイバghayba(隠れ)とルジューウrujū‘(再臨)とを説くが,そのイマーム論は一定の節度を堅持する。彼らはシャハーダ(信仰告白)の後に,〈そしてアリーは神のワリー(友)である〉という一句を付け加え,イスラム法で定める巡礼のほかに預言者やイマームの墓への参詣であるジヤーラを信者に義務づけているが,六信五行そのものは決して否定しない。…
【シーア派】より
…こうして,イマーム・マフディーを奉じた群小諸派が初期シーア派に現れた。これらはアリーとその子孫を,カリスマをもつイマームとして無垢無謬と認め,預言者から秘義がアリーに授けられ,これが代々のイマームに秘伝されたとする秘教となって,神がイマームに顕現するとする説,イマームが死んだのでなく〈隠れ(ガイバghayba)〉てマフディー(メシア)として再臨(ルジューウrujū‘)するとする説,イマームの光明説,などオリエント的宗教観念を伴った。アリーは一種の英雄神に近づいた。…
【マフディー】より
…反乱が鎮定され,ムハンマドが700年に没すると,カイサーン派の一部の者はムハンマドは死んだのではなく,一時姿を隠しているにすぎず,やがて地上に再臨して正義と公正とを実現すると説いた。これが,マフディーであるイマームの〈隠れ〉(ガイバghayba)と再臨(ルジューウrujū‘)を特徴とする,シーア派独特の隠れメシア思想の始まりである。 ウマイヤ朝末期の政治の混乱とともに,人々の間にメシア思想が広がったが,それを巧みに利用したことがアッバース朝革命の成功の理由の一つに挙げられ,サッファーフ,マンスール,マフディーというアッバース朝最初の3代のカリフのラカブ(カリフ名)にはメシア思想が反映されている。…
※「ghayba」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」