世界大百科事典(旧版)内のKökOrdaの言及
【キプチャク・ハーン国】より
…その際,長兄オルダOrdaらがジュチの本領(イルティシュ流域)を継いで国家の左翼となり,ハーン位を継承したバトゥは,弟のベルケBerkeやシバンShibanらとともに,右翼に所領を占めた。後の史料では,左翼の所領を青帳ハーン国Kök Orda,右翼を白帳ハーン国Aq Ordaと呼ぶこともある。 征服者のモンゴル人は,4000(あるいは9000)戸ほどの少数であったため,治下のトルコ族の影響をうけて急速にトルコ化したが,チンギス・ハーンの定めたヤサ法に基づき,モンゴル固有の制度と機構を維持していた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」