ロンドン・フィルム(読み)ろんどんふぃるむ(英語表記)London Films

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロンドン・フィルム」の意味・わかりやすい解説

ロンドン・フィルム
ろんどんふぃるむ
London Films

イギリスの映画製作会社。1930年代から1950年代にかけて、ハリウッドの撮影所に負けない娯楽大作、名作を製作し、イギリス映画を世界に知らしめた。1932年2月、アレグザンダー・コルダが二人の弟ゾルタンZoltan Korda(1895―1961)、ビンセントVincent Korda(1897―1979)らとともに創立。第1作『ウェディング・リハーサル』(1932)に続く『ヘンリー八世の私生活』(1933)の大ヒットで基盤を確かなものとし、その後も、デナム撮影所を本拠に、歴史物(『紅はこべ』1934年、『描かれた人生』1936年、『鎧(よろい)なき騎士』1937年)、いわゆる大英帝国もの(『ドラム』1938年、『四枚の羽根』1939年)を中心に盛んに製作を続けた。1939年11月にいったん解散するが、第二次世界大戦終了後の1947年に再興。作家のグレアムグリーン、脚本家のテレンス・ラティガンTerence Rattigan(1911―1977)、監督のキャロルリード、アンソニー・アスキスAnthony Asquith(1902―1968)、デビッド・リーン、パウエルプレスバーガーのコンビといったすぐれた人材と組み、『落ちた偶像』(1948)、『第三の男』(1949)、『ウィンズローの少年』(1948)、『戦慄(せんりつ)の七日間』(1950)、『絶壁彼方に』(1950)、『ホフマン物語』(1951)、『超音ジェット機』(1952)、『ホブスンの婿選び』(1954)、『リチャード三世』(1955)などの名作を生んだ。1956年1月、コルダの急逝によりロンドン・フィルムは活動を停止した。

[宮本高晴]

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百科事典マイペディア 「ロンドン・フィルム」の意味・わかりやすい解説

ロンドン・フィルム[会社]【ロンドンフィルム】

英国の映画会社。A.コルダによって1932年創立。ハリウッドやフランスのスタッフ,キャストを起用した作品により,イギリス映画の名声を国際的に広めた。代表作にルネ・クレール監督《幽霊西へ行く》(1936年),C.リード監督《第三の男》(1949年)などがある。1956年コルダの死とともに解体。
→関連項目コルダ

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世界大百科事典(旧版)内のロンドン・フィルムの言及

【イギリス映画】より

…実際こうして,やはりハンガリー出身でハリウッドで活躍していた脚本家ラヨス・ビロ,フランスのルネ・クレール監督作品の名カメラマン,ジョルジュ・ペリナールを起用し,さらにハリウッドですでに活躍していたイギリス人の俳優チャールズ・ロートンを主役に招き,みずから監督した《ヘンリー8世の私生活》(1933)は,アメリカ市場に進出して大成功をおさめた最初のイギリス映画となった。コルダの創立した〈ロンドン・フィルム〉の国際色豊かなイギリス映画は次のようなものである。アメリカ人のH.M.ヤング監督《紅はこべ》(1934),フランス人のルネ・クレール監督《幽霊西へ行く》(1936),アメリカ人のW.C.メンジーズ監督《来るべき世界》(1936),フランス人の監督J.フェデルとアメリカから招かれた女優マルレーネ・ディートリヒによる《鎧なき騎士》(1937),さらに実弟のゾルタン・コルダ監督の,ハリウッドで開発されたテクニカラーによる色彩豊かな大作《四枚の羽根》(1939),《ジャングル・ブック》(1942)等々。…

【コルダ】より

…その中には最初の妻マリア・コルダ主演の《サムソンとデリラ》(1922,オーストリア)や《ハプスブルグ家の悲劇》(1924,ドイツ),マルセル・パニョル原作,脚本の《マリウス》(1931,フランス)等々がある。32年,イギリスに定住してロンドン・フィルムを設立し,デナム撮影所を建設,チャールズ・ロートンと2番目の妻マール・オベロン主演の《ヘンリー八世の私生活》(1933),ダグラス・フェアバンクス主演の《ドン・ファン》(1934),チャールズ・ロートン主演の《描かれた人生》(1936)という大作をみずから監督し,イギリス映画の存在を世界に知らせることに成功。さらに,フランスから,ルネ・クレールを招いて新人ロバート・ドーナット主演の《幽霊西へ行く》(1935)を,ジャック・フェデルを招いてマルレーネ・ディートリヒとロバート・ドーナットを共演させた《鎧なき騎士》(1937)を監督させ,またキャロル・リード監督《落ちた偶像》(1948)にはフランス女優ミシェール・モルガンを,アメリカの大プロデューサー,デビッド・O.セルズニックと共同製作の《第三の男》(1949)にはオーソン・ウェルズを起用して,〈国際性のある大作主義〉を進め,30年代および40年代に世界市場でイギリス映画の声価を決定的に高めてその発展に貢献した。…

※「ロンドン・フィルム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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