改訂新版 世界大百科事典 「コルダ」の意味・わかりやすい解説
コルダ
Alexander Korda
生没年:1893-1956
世界をまたにかけて活躍したハンガリー生れの偉大な映画製作者および監督だが,とくにイギリス映画の地位を国際的に高めた功績で知られる。ブダペストに生れ,王立大学で学んだあと,新聞記者,映画評論誌の編集者を経て1914年に映画監督となる。19年,他の多くのユダヤ系映画人と同じように政治的動乱のうちに祖国を捨て,ウィーン,ベルリン,ハリウッド,パリで50本近くの作品を監督。その中には最初の妻マリア・コルダ主演の《サムソンとデリラ》(1922,オーストリア)や《ハプスブルグ家の悲劇》(1924,ドイツ),マルセル・パニョル原作,脚本の《マリウス》(1931,フランス)等々がある。32年,イギリスに定住してロンドン・フィルムを設立し,デナム撮影所を建設,チャールズ・ロートンと2番目の妻マール・オベロン主演の《ヘンリー八世の私生活》(1933),ダグラス・フェアバンクス主演の《ドン・ファン》(1934),チャールズ・ロートン主演の《描かれた人生》(1936)という大作をみずから監督し,イギリス映画の存在を世界に知らせることに成功。さらに,フランスから,ルネ・クレールを招いて新人ロバート・ドーナット主演の《幽霊西へ行く》(1935)を,ジャック・フェデルを招いてマルレーネ・ディートリヒとロバート・ドーナットを共演させた《鎧なき騎士》(1937)を監督させ,またキャロル・リード監督《落ちた偶像》(1948)にはフランス女優ミシェール・モルガンを,アメリカの大プロデューサー,デビッド・O.セルズニックと共同製作の《第三の男》(1949)にはオーソン・ウェルズを起用して,〈国際性のある大作主義〉を進め,30年代および40年代に世界市場でイギリス映画の声価を決定的に高めてその発展に貢献した。42年,映画人としては初めてナイトに列せられ〈サー〉の称号を授与された。ロンドンで死去。《四枚の羽根》(1939),《ジャングル・ブック》(1942),《サハラ戦車隊》(1943)等々の監督ゾルタン・コルダ(1895-1961),《バグダッドの盗賊》(1938-40)でアカデミー色彩美術賞を受賞した装置家ビンセント・コルダ(1896-1979)は実弟。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報