世界大百科事典(旧版)内のKöpenickの言及
【ベルリン】より
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[交易都市から宮廷都市へ]
現在のベルリンの起源となるベルリンとケルンKölln(アルト・ケルン)という二つの町が歴史上初めて文献に登場するのは,1237年および44年のことである。マクデブルクやライプチヒからオーデル川へ抜ける通商路のシュプレー川渡河点に位置する両市は,軍事的色彩の強いシュパンダウSpandauやケペニックKöpenick(1912年にベルリンに合併)とは異なり,商品集積地として発展をとげ,1307年に司法,行政面で一体化するとともに,59年ハンザ同盟に加入し,ブランデンブルクの最重要都市となった。続く15世紀には両市の自治権は,市民の抵抗(〈ベルリンの不満〉と呼ばれる1448年の蜂起)にもかかわらず,ブランデンブルク選帝侯国を支配するに至ったホーエンツォレルン家によって奪い取られるが,15世紀末以降になるとベルリン・ケルンは選帝侯の居城都市として,宮廷を中心にした交易をてこに新たな発展を始める。…
※「Köpenick」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」