世界大百科事典(旧版)内のkārumの言及
【ボアズキョイ】より
…1931年以来,ドイツのビッテルK.Bittelによって組織的な発掘が続けられている。 遺跡は肥沃な河谷平野をのぞむ山麓の起伏の多い丘の上にあり,前1900年ころに存在したアッシリア商人の居留区カールムkārumの跡に建設された都市で,北と南の二つの部分からなる。早く建設が始まった北部は,北西から南東まで約1200mにわたって丘のまわりに不整形な城壁をめぐらし,南東部の城壁沿いに王城がつくられており,その一部に粘土板が発見された王室記録文書室があった。…
※「kārum」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」