世界大百科事典(旧版)内のKantouの言及
【揚州】より
…さらにこれまで部分的に開かれていた水路を結んで大運河が開通すると,長江水運との交会点をなす揚州は全国第一の交通中心の位置を得,煬帝自身しばしばこの地を訪れて滞在し,江都宮をはじめとして宮殿園林を築いたが,煬帝の最期の地ともなった。国内交通の中心としてのみならず,唐代には南海,東海との国際交易港として栄え,アラビア商人の間ではKantou(江都)の名で知られた。また銅器,絹織物,造船などの工業も発達し,これに加えて唐中期の安史の乱以降は,混乱を避けて北方の有力商人,手工業者,文化人を含む大量の人口が移住した。…
※「Kantou」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」