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揚州 ヨウシュウ

百科事典マイペディアの解説

揚州【ようしゅう】

中国,江蘇省南西部の都市。旧名江都大運河西岸にあり,隋代以後特に繁栄した。水陸の交通が便利で,付近に産する米,麦,ワタなどを集散する。以前は淮海塩の大きな取引で有名であった。
→関連項目長江

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世界大百科事典 第2版の解説

ようしゅう【揚州 Yáng zhōu】

中国江蘇省南西部,長江(揚子江)北岸より大運河を少し北上したところにある市。人口47万(1994)。歴史上の地名としては〈禹貢〉の九州にみえる揚州,漢代の揚州刺史のように,長江南部の広い範囲をいうこともあるが,隋の統一後,ここが江南の中心となり,治所が建康(南京)より移されて以来,この地を揚州と称するようになった。揚とは長江のような大河の波浪が揚がることからつけられたという。揚州付近には標高50m前後の台地があり,長江南岸に比べると遅れるが,新石器時代末期よりこの微高地を中心に居住がすすんだ。

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大辞林 第三版の解説

ようしゅう【揚州】

中国、江蘇省の河港都市。長江下流の大運河の沿岸にある。唐代には外国貿易港として、明・清代には塩の大集散地として繁栄。ヤンチョウ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

揚州
ようしゅう / ヤンチョウ

中国、江蘇(こうそ)省中南部、揚子江(ようすこう)と高郵湖(こうゆうこ)の間にある地級市。大運河と通揚(つうよう)運河の分岐点にあたる。1949年に江都(こうと)県の市街区を分離して市が設置された。江都など3市轄区と1県を管轄し、2県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。常住人口445万9760(2010)。市区の北部には蜀岡(しょくこう)とよばれる比高10メートル前後の第三紀に形成された丘陵が続く。南部は揚子江の沖積平原で、泥砂が堆積し低湿である。
 かつては農産物の集散地で、また漆器などの伝統工芸と食肉加工などが行われていた。中華人民共和国成立後は各種の工業が発達し、1958年に新たに開通した大運河(京杭(けいこう)大運河)の両岸には化学肥料、機械、半導体などの工場が操業している。市の北部、旧大運河(古運河)の沿岸には火力発電所と製鉄所が立地し、南部の宝塔湾(ほうとうわん)地区は綿紡績、電動工具などの工業区である。また、ポリエステル繊維生産が発達しており、中国の代表的な繊維産業の一つに数えられる。農業では、蓮根(れんこん)の生産が盛ん。伝統工芸品では漆器、玉器、造花、刺しゅう、切り紙細工が有名。
 市の西の痩西湖(そうせいこ)と北の平山堂一帯は風光明媚(めいび)な遊覧地区である。1973年に大明寺に鑑真(がんじん)和尚記念堂が建設された。[林 和生・編集部]

歴史

春秋時代に呉が広陵邑(こうりょうゆう)を建て、楚(そ)がこれを継ぎ、秦(しん)、漢では広陵県、東晋(とうしん)以後は南(なんえん)州が置かれた。隋(ずい)代に揚州と改名、交通の要地として成長、離宮もあった。唐もこれを受け、東アジアやアラブとの海上交通が揚州を拠点とし、また北送する江南の米、塩などの集結地となって栄え、「揚一益二」つまり四川(しせん)(益州(えきしゅう))の成都(せいと)と並ぶ華中の大都会となった。日本に布教した律宗の僧鑑真は近くの大明寺に居住していた。
 唐末の兵乱で荒廃したが、節度使楊行密(ようこうみつ)(852―905)が揚州を都に呉国を建てた。このころから揚州は江蘇沿海の淮南(わいなん)塩の集散地、また北送される江南の米、絹などの積換え地となり、北宋(ほくそう)では転般倉、南宋では総領所が置かれた。明(みん)・清(しん)では北辺の軍隊への補給に淮南塩からの利益が利用され、山西(さんせい)、新安(しんあん)の大商人が揚州に集まってふたたび繁栄し、学者、文人による文化的サロンもできた。『揚州画舫録(がぼうろく)』にその繁栄ぶりが詳しく記録されている。[斯波義信・編集部]

世界遺産の登録

2014年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「中国大運河」の構成資産として、揚州運河が世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。[編集部]

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世界大百科事典内の揚州の言及

【九州】より

…諸説ある中で最も有名なのは《書経》の〈禹貢〉にみえる九州で,山川を基準にして中国を次のように分けている。冀(き)州(今日の山西省,河北省),兗(えん)州(河北省南部,山東省北西部),青州(山東省中東部),徐州(山東省南部,江蘇省北部,安徽省北部),揚州(江蘇省,安徽省,浙江省),荆(けい)州(湖北省,湖南省,江西省),予州(河南省,湖北省北部),梁州(陝西省南部,四川省),雍(よう)州(陝西省,甘粛省)の九つである。《周礼(しゆらい)》の〈職方氏〉の九州説は〈禹貢〉の冀州の北半分を幽州(河北省北部)と幷(へい)州(山西省北部)に分け,代りに徐州と梁州を除いている。…

【江蘇[省]】より

…この陸地化が急速に進んだのは,1194年に黄河道が変わってから范公堤(はんこうてい)の外側に大量の砂泥が堆積したためである。 長江三角州は鎮江,揚州から東へ長江の沖積によってできた大平原で,北は新通揚運河から南は杭州湾まで,上海市はその中に含まれる。長江は南京を過ぎて平地に出ると,流れはゆるやかになり大量の砂泥を下流に沈殿させて,太湖を中心とする広大な湿地帯を作りあげた。…

【揚州画舫録】より

…中国,清代18世紀末の揚州(江蘇省)の都市繁盛記。18巻。…

※「揚州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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