Kaysān(その他表記)Kaysan

世界大百科事典(旧版)内のKaysānの言及

【シーア派】より

…アリーの子フサインはクーファの民の誘いに応じてクーファに向かうところをウマイヤ朝の軍に包囲されてカルバラーで戦死し,受難の英雄となった。685年ムフタールが,アリーの子ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤをイマームおよびマフディーとして奉じ,ウマイヤ朝に対する反乱(ムフタールの乱)を起こした(カイサーンKaysān派と呼ばれる)。その死後,だれをイマームと認めるかをめぐって内部の分裂が進行した。…

※「Kaysān」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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