世界大百科事典(旧版)内のKikkuliの言及
【ミタンニ王国】より
… ミタンニ王国は,前16,前15世紀のサウスタタルSaustatarのときに勢力が最大となり,その版図は小アジア南東部のキズワトナ,アララク(テル・アッチャナ)など北シリアのほぼ全域を含み,東部はティグリス川東岸のヌジ,キルクークの一帯にまで及んでいた。その勢力の伸長の背景には,ヒッタイトがミタンニの調教師キックリKikkuliを招聘していることなどから推測して,ミタンニの馬術がオリエント世界の他地域に比較して優れていたことがあげられる。エジプトのトトメス3世のシリア遠征,ヒッタイト王のアレッポ侵攻などにより,北シリアは一時混乱期を迎えるが,アルタタマArtatama,シュッタルナShuttarna,トゥシュラッタTushrattaの3代にわたって,トトメス4世,アメンヘテプ3世に入嫁させるなど,エジプトと密接な関係を維持,前15世紀後半から前14世紀初頭にかけて,比較的安定した時期が続いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」