世界大百科事典(旧版)内のMachaōnの言及
【フィロクテテス】より
…トロイア戦争の際,彼は7隻の軍船を率いて敵地に向かったが,途中,テネドス島で毒蛇に足をかまれ,その傷が化膿してひどい悪臭を放つに至ったため,ひとりレムノス島に置き去りにされた。しかし10年後,捕虜となった敵の予言者ヘレノスHelenosから,トロイアはヘラクレスの弓なくしては陥落しない定めにあると聞き及んだギリシア軍は,オデュッセウスとディオメデス(またはアキレウスの遺子ネオプトレモス)をレムノス島に派遣,二人に伴われてトロイアに着いたフィロクテテスは,まず名医マカオンMachaōnに傷をいやされたあと,戦争の原因をつくった敵将パリスを射殺したという。この話はアイスキュロス,ソフォクレス,エウリピデスの三大悲劇詩人によって劇化されたが,ソフォクレスの《フィロクテテス》(前409上演)のみが現存している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」