出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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フィロクテテス
ふぃろくててす
Philoktetes
ギリシア神話の英雄。弓の名手として有名なフィロクテテスは、ヘラクレスの死に際(ぎわ)になにかと親切にしてやった礼として、その弓とヒドラの毒を塗った矢とをヘラクレスから授かった。フィロクテテスは、トロヤ遠征へ向かう途中毒蛇にかまれ、その傷と痛みの激しさから先を急ぐ遠征軍の一行にレムノス島に置き去りにされ、そこで9年間わびしく生き長らえた。トロヤ戦争も10年目となったとき、預言者ヘレノスから、ヘラクレスの弓がなければトロヤは陥落しないと聞いたギリシア軍は、オデュッセウスとディオメデス(またはネオプトレモス)をレムノスに派遣してフィロクテテスを迎えに行った。曲折を経たのち、トロヤに着いて名医マカオンの治療により傷も全快した彼は、ヘラクレスの弓と矢でパリスを射殺し、トロヤ陥落のきっかけをつくった。なお、ソフォクレスの悲劇『フィロクテテス』では、フィロクテテスを欺いてヘラクレスの弓だけを取ってくるはずであったが、その悲惨なありさまに同情したネオプトレモスがいっさいを白状し、激怒したフィロクテテスも結局は和解してトロヤに同行することになる。イタリアの南部地方には、このフィロクテテスを崇拝の対象としていた地域があったという。
[伊藤照夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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フィロクテテス
Philoktētēs
ギリシア神話の人物。ポイアスの息子。オイテ山に築かれたヘラクレスの火葬壇に火をつけることを引受けた返礼に,ヘラクレスから弓矢を与えられ,弓矢の名手となった。トロイ遠征に参加したが,途中,へびに咬まれて傷つき,腐臭を発するようになったためレムノス島に置去られた。しかしギリシア軍はヘレノスの予言からヘラクレスの弓矢の加勢がなければトロイ攻略は成功しないと知らされたので,フィロクテテスはオデュッセウスらによってトロイに連れてこられ,傷の手当てを受けたのち,パリスをはじめ敵方の多くを射てトロイ攻略に貢献したとされる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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百科事典マイペディア
「フィロクテテス」の意味・わかりやすい解説
フィロクテテス
ギリシア伝説の英雄で弓の名手。トロイアへの途上,蛇にかまれて,レムノス島に置き去りにされるが,10年後,彼のもつヘラクレスの弓が必要になったギリシア軍は強引に戦列に復帰させる。彼は名医マカオンに傷を癒されたあと,パリスを射殺したという。ソフォクレスに同名の悲劇がある。
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世界大百科事典(旧版)内のフィロクテテスの言及
【ソフォクレス】より
… 彼の作品は全部で123編あったと伝えられているが,完全な形で現存しているのは7編の悲劇だけで,そのほかに90余の題名,サテュロス劇《追跡者》の大断片,失われた劇の多数の断片が残されている。7編の現存悲劇を年代順に記せば,《アイアス》,《[アンティゴネ]》(前441ころ),《トラキスの女たち》,《[オイディプス王]》(前429ころ‐前425ころ),《[エレクトラ]》,《フィロクテテス》(前409),《[コロノスのオイディプス]》(遺作,前401上演)となろう。ソフォクレスは自分の作風の変化について,まずアイスキュロス風の誇大な文体,次に技巧的で生硬な文体を用いた時代を経て,最後に性格描写に適した最良の文体を生み出した,と述べたことが伝承されている(プルタルコス)。…
【トロイア戦争】より
…これを知ったメネラオスは,兄であるミュケナイ王アガメムノンと謀り,全ギリシアの英雄をアウリスの港に結集し,遠征の途につく。出航に際しては,エウリピデスが《アウリスのイフィゲネイア》で語るように,総大将アガメムノンがアルテミスの怒りを被り,愛娘を犠牲に供することで,やっと順風を得ることができたり,航海途上で毒蛇にかまれて悪臭を放つ英雄フィロクテテスを,レムノス島に置去りにしたりするエピソードがある。 トロイアの地に上陸したギリシア軍は,船を陸に引き上げて城の前に船陣を築き,攻防戦は10年に及ぶ。…
※「フィロクテテス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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