Mascezel(その他表記)Mascezel

世界大百科事典(旧版)内のMascezelの言及

【スティリコ】より

…397年にも海路ペロポネソスに渡り西ゴート鎮圧を図るが,このときはエウトロピウスの教唆を受けた東帝に再び撤退を命じられた。同年にはアフリカでギルドの反乱も起きたが,ギルドの兄弟マスケツェルMascezelを派遣して翌年これを鎮圧。また,401年秋東ローマに抱き込まれたアラリックがイタリアに侵入すると,ブリタニアやガリアから軍勢を撤退させてイタリア防衛に努め,ポレンティア(402)およびベローナ(403)の会戦で西ゴートを退却させ,406年には前年イタリアに侵入したラダガイススRadagaisus率いるゲルマン混成軍を,ファエスラエで殲滅(せんめつ)した。…

※「Mascezel」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む