mathnavī(その他表記)mathnavi

世界大百科事典(旧版)内のmathnavīの言及

【ペルシア文学】より

…しかし9世紀は揺籃期で,10世紀にブハラを都として中央アジアとイラン東部を支配したサーマーン朝が民族文化政策を採り,ササン朝滅亡以来絶えていた宮廷詩人制度を復活させ,ペルシア詩人の保護・奨励に努めた結果,〈ペルシア文芸復興〉が起こり,この時代にペルシア文学の基礎が確立された。〈ブハラ宮廷の華〉とうたわれたルーダキーは10世紀を代表する大詩人で,頌詩(カシーダqaṣīda),叙事詩(マスナビーmathnavī),抒情詩(ガザルghazal),四行詩(ルバーイーrubā‘ī)などペルシア詩の主要な詩形をすべて用いて作詩し,後世〈ペルシア詩の祖〉と仰がれた。この時代の大きな特色は宮廷詩人による頌詩と民族叙事詩の勃興で,ともに時代精神の反映であった。…

※「mathnavī」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む