世界大百科事典(旧版)内のmezzadriaの言及
【小作制度】より
… フランスにおいても18世紀には北部先進地帯でイギリス型の資本家的大借地農業経営者がしだいに増加し,19世紀のうちに小規模な分益小作制度はしだいに減少していったから,大づかみにいって西ヨーロッパの小作制度は18,19世紀に資本主義的借地農業制度に転換したといえる。ただイギリス支配下のアイルランドでは小規模な小作農が多く,19世紀のイタリアでもメッザドリーアmezzadriaという小規模な分益小作制度がかなり広くみられた。なお農用地総面積の中で小作地(借地)面積の占める割合は,フランスでは19世紀末から現在まで一貫してほぼ50%であるが,イギリス(イングランドとウェールズ)では1913年の89%から1960年の51%へと減少している。…
【折半小作】より
…折半小作が行われるのは,小作農民が貧しくて小作料支払能力が不安定である場合が多く,地主は,あらかじめ小作農民に必要な種子の半分や家畜の半分を貸し付け,収穫後に,生産された農産物(家畜の増加分を含む)の半分を徴収することによって,小作料を確保するのである。日本の刈分(かりわけ)小作もこれに属するが,ヨーロッパでは,16~19世紀のフランスのメテヤージュmétayage,イタリアのメッザドリーアmezzadriaなどがその代表的なものである。【遅塚 忠躬】。…
【トスカナ[州]】より
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【産業】
産業としては,近年まで農業が中心であった。とくに丘陵地では穀物と果樹の混合耕作が行われ,メッザドリーアmezzadria(折半小作制)が普及していた。地主は多く都市に居住し,小作地の中心にある別荘に季節的に滞在して収穫作業を監督するというのがルネサンス以来の古い伝統であった。…
【分益小作】より
…したがって,この小作制度は,農業生産力の低い近世初めや,貧困な後進地域などに多くみられ,農業の近代化とともに消滅する場合が多い。16~19世紀のフランスの分益小作(メテイヤージュmétayage)や,イタリアのそれ(メッザドリーアmezzadria)などが代表的なものであり,アメリカ合衆国のシェア・クロッピングshare‐cropping(シェア・クロッパー)や日本の刈分(かりわけ)小作などもこれに属する。【遅塚 忠躬】。…
※「mezzadria」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」