世界大百科事典(旧版)内のPakualamの言及
【ジョクジャカルタ】より
…これによりマンクーブーミはマタラム王国の南西半分を得てジョクジャカルタに都し,スルタン・アマンクブウォノ1世と称することを認められた。その後1813年にスルタンの家系からさらにパクアラムPakualam家が分家し,スラカルタのススフナン家,その分家のマンクーヌゴロ家とともに4土侯と総称され,ある程度の自治を認められた。1825年から30年にかけて,スルタン・アマンクブウォノ3世の長男ディポネゴロは,王位継承権を無視されたことなど,オランダの支配に対する不満から反乱を起こし,多くの同志を集めて一時ジョクジャカルタ地区を制圧して,ヨーロッパ人や華僑多数を殺した。…
※「Pakualam」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」