Rudrāmbā(その他表記)Rudramba

世界大百科事典(旧版)内のRudrāmbāの言及

【カーカティーヤ朝】より

…13世紀,ガナパティGanapati(在位1199‐1261)の長い治世は王朝の最盛期で,ワランガルに城塞を築いて都とし,チョーラ,チャールキヤ両王朝の滅亡による混乱期に,ヤーダバ,ホイサラ,パーンディヤなどの諸王朝と争って,アーンドラ地方を中心として領土を拡大した。そのあと娘のルドラーンバーRudrāmbāが女王となり,主としてヤーダバ朝と抗争し,次のプラターパルドラ2世(在位1295‐1323)のときまで,南インドの大国の一つであった。だが,デリーのムスリム王朝の南インド征服を受け,1310年マリク・カークールの遠征によって都を占領され,その後勢力を回復したが,23年,ウルグ・ハーンの軍隊に再び侵略され,王朝は滅びた。…

※「Rudrāmbā」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む