世界大百科事典(旧版)内のSamau'alb.‘Ādiyāの言及
【城】より
…アラビア半島中北部には城らしいものはなかったとふつういわれているが,ヒスンḥiṣn(ヒスナḥiṣna),カルアqal‘aなどということばは城砦を意味し,イスラム以前から存在したらしい。6世紀の前半,ユダヤ教を奉ずるアラブのサマウアルSamau’al b.‘Ādiyāが現在のタイマーTaimā’の付近のアブラクal‐Ablakの城に立てこもった話は《歌謡の書》19巻などに見え,サマウアル自身の詩に,〈堅固な壁の城,思うままに水の汲める井戸のある……〉の一節がある。イスラム以後になると,アラブはビザンティン帝国やペルシアの領土をひろく征服したが,その多くの都市はみな城壁をめぐらしたものであり,ダマスクスやエジプトのバビロン城などの攻略物語は,当時の城壁のありさまを推察させるものがある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」