世界大百科事典(旧版)内のSpeusipposの言及
【アカデメイア】より
…学園にはすでに独立の研究者であったエウドクソスがその弟子とともに加わり,アリストテレスが17歳で入門するなど,広くギリシア各地から研究者や学生が集まった。プラトンの没後,甥のスペウシッポスSpeusipposが第2代学頭となり,クセノクラテスがその後を継いだ。学園はその学問の傾向において,イデア論的形而上学から数学主義,懐疑主義から折衷主義へと変わり,また中断の時期はあったが,東ローマ皇帝ユスティニアヌスの勅令(529)による活動停止まで900年余にわたって存続し,古代ギリシア・ローマ世界における学問研究のセンターとして大きな役割を果たした。…
※「Speusippos」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」